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3号機が登場しても、やはりまだパチンコを打つ方が多かったですね。
時々スロットも打ってましたが、スロットのシマはなんか近付くのが怖くて敬遠していた覚えがあります。

ぶっちゃけ3号機は、ノーマルよりもイケナイお注射を施された台の方が多かった(大汗)ことが推測されますし、打ってる人も香ばしい人たちが多く、オトナの遊びっていう印象でしたねw
まだ二十歳そこそこの若造は近寄らないのが賢明だったと今は思います。


そういった事情もあり、ワイルドキャッツ(アークテクニコ)、リノ(ニイガタ電子)、セブンボンバー(バルテック)、スペーススペクター(日活興業)、アポロン(北電子)辺りは、ノーマル仕様の台と、いわゆる「○○Ver.」等と称されるものの区別がつかない状態で打つのが恐ろしく、これら名機と呼ばれる台の数々にほとんど触ったことがありません。


※その「○○Ver.」はメーカーとは一切関係ありません、って書いておかなきゃダメ?(汗)


よく打っていたのは、コンチネンタルⅢ(メーシー)、コンチネンタルⅡ(ユニバ)、マジカルベンハー(大東音響)、アラジンⅡ(サミー)辺りです。


一番ハマったのはコンチⅡですかね。
シングルボーナスがあるお陰でリーチ目も出やすく、飽きずに打ってた気がします。
ユニバ系の台はボーナス図柄が大きくて見やすいので、目押しが容易で打ちやすかったってのもあり、何となく座りがちだったかも知れません。


コンチⅢも一時期ハマり、3号機以前で一番メダルが出たのはコンチⅢです。
セブンラッシュでシングルの集中というものを初めて体験したと思います。
ダラダラ出続け、いつの間にかドル箱が積み上がる、っていう現象にすっかり脳をやられてしまい、気付けばこうやってパチンカスが出来上がっていた訳ですねw
まあ、荒いということはおカネも入るっちゅーことで。
あまりにも荒いので貧乏学生には時々しか打てない代物でした。


マジカルベンハーにもちょっとハマりました。
たぶん、世間の設置台数的には兄弟機のドリームセブンJr.の方が多かったと思うんですが、よく行く店にはマジベンばかり設置されていたもので。
まだあまり目押しに自信がない頃でしたが、マジベンはドリセブより楽に狙えていたかも。
ドリセブと違って青いボーナス図柄が「7」ではなく「3」だったので、形で判別しやすかったんでしょうか。


アラジンⅡもスベリが気に入って一時期打ってました。
アラチャンにも入りやすくマイルドな印象で打ちやすい、と感じていましたね。
低設定域だと、コンチ3のセブンラッシュよりアラチャンの方が若干入りやすかったので、そういう印象を受けるのかもですね。ホールでの設定なんて、ほぼベタピンだったでしょうし(汗)


そうそう、わたし山佐大好きなくせにスーパープラネットは触ったことないんですよ。
例によって「よく行く店に無かった」っていう理由なんですが。
もし近くに有ったらきっとハマってたんだろうな、と思いますね。
リーチ目覚えるのに、学校の勉強そっちのけで必死になっちゃったりしてたことが容易に想像つきますw


そして、時代は4号機に移り変わります。



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