遂にマイ(ボッタ)ホールにもスマパチがやってまいりました。
全国的に見ても、ようやく導入に漕ぎ着けたホールも結構あるみたいですね。
私は最近スロットに対する興味があんまし無いのでまだスマスロっちゅーものに触ってもいないんですが、後学のために一度くらい打ってみてもいいかなあ、とは思ってます。


思い返せば、5号機の登場と同時くらいにスロットをほとんど触らなくなって
しまいました。
黎明期の5号機に対して物足りなさしか感じられず、段々打たなくなってしまったんですね。
5号機出始めだったので仕方ないですが、出玉性能的には当然牙を抜かれていたし、ゲーム性での工夫もまだまだでしたので、魅力を見出せなかったという訳です。

今思えば、もう少し我慢して付き合ってれば段々こなれて面白くなっていくパチスロをリアルタイムで感じることもできたんでしょうが。

5号機が盛り上がり始めた頃のパチンコはタイアップ機全盛期で面白い台も多く、パチンコで十分面白いからわざわざスロット打たなくてもいいや、って思っていた節もありますね。


私の初めてのスロット体験は2号機の辺りまで遡ります。

2号機の頃はまだ学生で軍資金も乏しかったこともあり、スロットを打つより
パチンコを打つ方が多かったですね。
何より覚えたばかりのハネモノが楽しくて、ハネモノ中心に打ってました。

初めて触ったパチスロは2号機のベンハー(大東音響)ですね。
高校生の時、まだ大らかだった時代のホールで父親の隣に座らされ打ったのがベンハーでした。

その時はただ言われるがままに打っていただけなので面白いとかつまらないも何も感じませんでしたが、ゲームセンターで遊んでいるような感覚だったかなあ、とは思います。

その後、自分でホールに行くようになり色々と調べて打つようになってからは、少し楽しくなってきたのを覚えています。
スベリが分かるようになって、スーパーセブン(パイオニア)の楽しさが理解できるようになり、一時期こればかり打ってました。


2号機・3号機の時代は、1つのメーカーが2機種までしか台を出せなかったので、一つの台が長く稼働する感じでした。
そのため、台の種類こそ少なかったけれど、伝説の名機が数多く生まれています。
が、結局見ることが叶わなかった台も沢山ありました。

今はピーワールド等で設置店検索をし、打ちたい台を探して打ちに行くこともできますが、この頃はまだインターネットも普及してませんでしたので、必然的に「よく行く店」にある台しか目にすることも打つこともなかったんですよね。

さっき書いた台の他にギリギリ打ったことがあるのは、ドリームセブンJr.(高砂電器)、リバティベルⅢ(メーシー)、スーパーバニーガール(オリンピア)、スーパーウィンクル(高砂電器)、アラジン(ニイガタ電子)、ムサシ(パイオニア)くらいですね。

いま思えば、アニマル(アークテクニコ)やサファリラリー(エーアイ)辺りを触れなかったことで、同世代の人たちの話に混ざれなくてちょっと悔やまれますw


※あ、今更ですが、この「ただただ昔のパチスロのことを思い出すなどしており」のシリーズではプレミアム的な画像やら何やらは登場しません。
もう二度と味わえない、当時の懐かしい思い出が「プレミアム的」だよね、ってことでひとつご容赦を(汗)



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